Telefunken Allvox-Strahler RS I


最近買ったスピーカーのおかげで今まであまり聴いてこなかった音楽を好んで聴いている。本当に自分の音楽の好みなんて当てにならない。好みは聴く環境で変わるものだ。そしてスピーカーがその音楽の聴き方を教えてくれる。

スピーカーを買ったのはヴィンテージ家具を友人と見に行った影響が大きい。経年で渋く深い艶のある木目やしっとりと馴染む手触り。何より新品にはない風格のある佇まい。そういうものを見て何か自分も気に入ったヴィンテージ家具を日常の身近なところに置いて使ってみたいなと思った。ただ今さら知識もない椅子や机を買うのもなぁ(めちゃ高いし!)と思っていた。
いつものように何の気なしに中古オーディオのサイトをいくつか眺めていたら、そのスピーカーが割とリーズナブルな値段であった。そういえば20年くらい前に初めてそのデザインを見て衝撃を受けたのを思い出した。それからたまに中古市場で見かけたがここ最近見かけなくなった気がする。正直に言って音は特に期待はしていなかった。60年も前に作られた楕円型ユニットのフルレンジ一発。低音も高音も大したことないだろう。キャビネットは見た目はすごくよいがオーディオ的に見れば大した作りではなさそうだ。でも60年前のスピーカーの音作りって気になる。常々スピーカーは作られた年代の音楽が一番良く鳴るという自説を持っている。50年代後半~60年代初め頃に製造されたスピーカーを手元に置いて自説を確かめるのに聴いてみるのもいいかもという考えもあって思い切って手に入れたのだった。

そのスピーカーはドイツ製 Telefunken(テレフンケン) Allvox-Strahler RS Iという。1903年創業のテレフンケンは当時のハイテク企業で1939年には社員23,500人を擁する大企業だ。36年のベルリンオリンピックでのメイン会場でPAスピーカーとして採用されるほど当時ドイツを代表する企業だった。そして世界大戦後も総合電機メーカーとして生き残った。
RS Iは1958年~62年の間に製造された。当時モノラルからステレオへの転換期。その流れにのって多くのメーカーから”STEREO”を銘打った製品が世に出たそのうちの一台である。
どういう経緯でこうして日本まで辿り着いたのか。日本の中古市場で手頃な値段で見かけるということはかなりの生産台数だったのだろう。発売当初の価格は49.00DM(ドイツマルク)とある。今のレートで5,000円ほど(!)。少なくとも高級品ではなかったようだ。当時こんなに手の込んだ製品が手頃な価格で大量生産されていたことに驚く。

冒頭にも書いたが、今まで聴いてこなかった50年代~60年代のJazzボーカルをこのスピーカーで好んで聴いている。

たとえば
’55 Helen Merill ” Helen Merill”

’62 Carmen McRae “Sings Lover Man & Other Billie Holiday Classics”

などなど
この辺りはとにかく声の艶めかしさが最高だ。当時ラジオが音楽ソースとして主流だっただろう。それで声に焦点を当てた音作りをしたと思われる。何となく想像するのは当時はまだまだ機械から音が出ることに対する違和感が大きかったではないか。聴き手は今よりももっと声に対するこだわりが強かった、あるいは生理的にも不自然な機械っぽさに拒否反応が強かったのではないだろうか。声の実在感みたいなものが圧倒的である。当時の大量生産品ではあるが大量生産であるからこそという設計者のプライドや気概みたいなものを感じる。ただ声に近い音域の管楽器などハッとするような音色に聴き惚れることもあるが声以外の楽器は大体はおもちゃみたいに聴こえる。ドラム、ベース、電気を通す楽器。ピアノも何か薄いカーテン越しに聴くようだ。それはそれで雰囲気があっていいのだが。なのでリズムで聴かすような音楽はやはりあまり合う曲はないように感じる。そこは声(主役)と伴奏(脇役)のバランスで聴くような知性的な聴きせ方ではなく、より声を聴かせて脇役である伴奏はバッサリと切り捨て情感で聴く方へ振った潔さ。歌ごころという情緒性にフォーカスした音作りである。夜一人で聴いていると音楽を聴いているというよりも人に会いに行ってる感覚がある。
それにしても今がサブスクの時代でよかった。サブスクがなかったら今頃音源を買い漁っていただろう…。そして自分が70年代の日本のフォークや荒井由実時代のユーミンをこんなに聴くことになるとは。
(*ちなみにスピーカーケーブルが本体から直出しなのでそれぞれの環境に合わせて加工するなど工夫が必要かも)

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