Interview #02 蓮沼執太『unpeople』を聴く

昨年15年ぶりのソロ・インストアルバム『unpeople』をリリースした蓮沼執太さん。リリース後、行ってきたサウンド・パフォーマンスシリーズ”unpeople+1 people”が遂に奈良・listudeでも演奏されることになりました。『unpeople』への想いやパフォーマンスへの意図などから、蓮沼さんの素顔へと迫っていきます。

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ダイナミックに変化できていけたら

― サウンド・パフォーマンス”unpeople + 1 people”とは一体どんなライブなのでしょうか。

僕のパフォーマンスはいくつかの形態があって、パーマネントでやっているのが、蓮沼執太フィルやタブラ奏者のU-zhaanとのユニットと、この2つなんですけど意外とソロというのをずっとやっていなくて。もちろん、映像作品のためのパフォーマンスとしてシンセサイザーだけで即興的にやるとか、そういうものはありますが、全部自分の曲だけで構成されているというものは、2015年にリリースした『メロディーズ』のライブ以降、ないですね。

でも、去年の10月に『unpeople』というアルバムをリリースしたのでライブをやろうと決めて。「unpeople」=人間がいないというタイトルのレコードを「one people」=僕がパフォーマンスするという意味で、”unpeople + 1 poeple”というタイトルにしています。記録されたレコードと共に、プラス1人の人間でやっていますという意味です。その「unpeople」の部分は、パフォーマンスを重ねていく度にどんどん変わってきていて。成長するというニュアンスでもあるんですが、例えばlistudeとも去年名古屋*1で一緒にやっているけれど、今回奈良で演奏する時はまた違った形でできたらいいなと思うし。そうやってどんどん色々な機会が増えて、パフォーマンス自体が広がっていくのだろうなと思っています。

シリーズとして今まで8回やっていますが、演奏場所も色々なところでやっていますね。僕は、空間の中に音を落とし込むという意識が強いので、例えばライブパフォーマンスの時、人間の身体が空間に物質的に入った時にどうやって音ができるのだろう、とかそういうことを意識しています。listudeも同じような問題意識を持って取り組んでいるとは思うのですが、そういう意識があるので、場所を選ばず、むしろこの場所だったらどうやってできるかな、と考えて実践しています。その繰り返しです。
決まった形式やシステムの上でやるというよりも、毎回ああだこうだ考えながら作っていくことが性にあっているので、色々な場所でやるということは、もちろん偶然ではありますが、必然的にそうなっているような気がしますし、僕にとってはとてもいいことです。

4月20日のlistudeでの演奏以降も、続々と決まっていて2024年もこのシリーズは続いていきそうです。こうなるまで続ける、という明確な目標のようなものはないのですが、どんどん変化させて、「最初はこんな感じだったのに、こんなに変わったんだ」と感じるくらいダイナミックに変化できていけたらいいな、とは思っています。やっぱり面白い場所でパフォーマンスできたりするので、大変さはありますが、楽しみながらやれています。

1回目のPOST*2からも随分変化していると思いますね。10年くらい前に、ラップトップで音楽をする人たちが増えてきて、ラップトップで音源をかけっぱなしにしたままライブをする人たちもいたのですが、それって面白い時とそうじゃない時が極端にあって。今回のパフォーマンスもレコードかけて演奏してるだけじゃん、と思う方もいるかもしれないですが、そのレコードとは盤に針が刺さって削られることで、音が今そこで鳴っているということなので、昔に記録されているとは言え、それはやっぱり今の音だと思うんです。僕自身も、常にフレッシュな気持ちで臨んでいるので、そういった状態を維持できているというだけで、同じことをしているようでも、毎回変化はしているんじゃないかなと思います。

1人でクリエーションするということは、結局は自分自身の問題になってしまうので。決まったものをキープし続けていこうとか、ベストな演奏をしていこうという気持ちではなく、常に雰囲気を許してのびのびとパフォーマンスをしていこうと思うだけで、そういう気持ちの部分が直接的に演奏に反映されていることは間違いないと思います。
人と演奏するということは、自分の気持ちや、具体的な指示を曖昧な形ではなく、書いたり伝えたりしないといけないので。1人だとそこが省略できる分、よりダイナミックにパフォーマンスに表れると思います。自由な分、全責任が僕になってしまうんですけどね。

*1 Shuta Hasunuma”unpeople+1people #06”
「アートサイト名古屋城2023」のひとつのプロジェクトとして企画/山城大督のもと、2023年12月9日名古屋城のカヤの木にて行われたサウンド・パフォーマンスイベント。listudeは当日音響として参加。詳しいレポートはこちらから。

*2 アルバムリリースを記念して、東京・恵比寿にある書店「POST」にて行われた展覧会。アルバムのアートワークとして収録された池谷陸の写真作品を始め、グラフィックデザインも担当した田中せりによる空間構成、蓮沼による音を通して場所と時間の関係性を考察するサウンド作品で『unpeople』をより深く表現した。詳しくはこちらから。

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強い言葉じゃないと伝わらない

― 蓮沼さんはフィルを始め、多くのコラボレーションをされていて、常に誰かとクリエーションしているイメージがあります。その分、今回の『unpeople』という人の不在を感じさせるタイトルには意外性もありました。人とのコミュニケーションや関係性については普段どのように考えているのでしょうか?

もちろん人から大きな影響を受けているとは思いますが、コミュニケーションが得意かと言われたら得意じゃないです。社交性もそんなにないですし。基本的に、音楽で相手のことを全部分かろうというのは結構難しいことだと思います。それは、音楽だけじゃなく、表現とか芸術とか文化とか、コラボレーション内で全てを理解しようということは難しいです。でも、自分の理解の範囲で共感したり分かり合えるところはもちろんあるし、分からないところがあることも認めて、コミュニケーションしていることは間違いないですね。

つまり、それってどういうことかというと、対自分に対して、どんな人でも同じように接するということになるんです。それはミュージシャンでも、お客さんでも、同じ1対1で向き合って大切にするというコミュニケーション、という意味で。それがいいのか悪いのかは分かりませんが、昔からそうなんです。例えば、赤ちゃんや子どもでも、相手が子どもだからこちらの言っていることを理解していない、とはみなさずに、何を考えているんだろうか、とこちらも考えながら接しているというか。もちろん、こういうところは作品にも反映されていると思います。

『unpeople』もそうですが、基本的には全部自分がいいなと思っている音で構成されています。そういう好きな音もたくさんある中で上下ランク付けせず、みんな同じように扱うようにしています。例えば管弦楽を作ろうとしたときに、効果的に聴かせる方法はテクニックとしてあるのですが、そういうものは楽器の歴史も関係して、音に上下関係が出てきてしまうんです。高い音の方が前に出てくるし、低域の音は下を支えるっていう構造に出来上がってしまう。でも、できるだけそういうものをなくしていきたいですね。なかなか実現することは難しいのですが、15年前に比べるとマイクの性能や技術も上がり、いい音で録れるようになってきているので、具現化するにはそういう影響も必要なのかなと思っています。

― 蓮沼さんにとってのいい音、好きな音とはどういう基準で、どういう過程で生まれるのでしょうか。

そういう基準も作る目的によって変わります。『unpeople』に関して言うと、目的なく作っていました。目的がないということは、自分の中でルールを作らない、ということ。つまり自由に作れるんです。本当にいい音だけを並べて、それをずっと繰り返し聴いていると、曲が「ああすれば?こうすれば?」と言ってくるように感じて、そのアイデアを増やしていくとか、そういう行き当たりばったりな感じで作っていました。ちょっと抽象的ですけど…。
もちろん人間なので、例えばお店で「これめっちゃ良さそう」と思ってゲットしてみたものの「やっぱり自分に合ってなかった」くらいの感覚で、いい音だなと思ってやってみたけど、やっぱりちょっと違うなということはあります。

あと昔は昼夜かまわず制作していたのですが、ここ10年くらいは太陽がのぼっている時しか制作していません。きっかけは、ニューヨークに行ったことが大きいかもしれないですね。時差ボケは時間の感覚が歪んでしまうので、夜はもう曲を作るのではなく、読書をしたり映画を観たり散歩をしたり、そういう普通のことをしようと思って。あと、僕は昼と夜の時間の流れは絶対的に違うと思っています。朝は時間がゆっくりしていて、夜は早いと感じています。五線譜ではなく、録音物を作っているので、同じ曲でも夜は5分と思って作った曲も、朝に聴いたら7分とかに聴こえてしまう。だから身体で感じる時間の感覚は一定じゃないなと思っていて、制作は日中にやろうというなんとなくのルールがあります。時間が一定だと、自分の中でそれが基準にもなるし、安定しているなと思うので。

― 今回、アルバムタイトルに『unpeople』と付けた理由、きっかけはあるのでしょうか。

「unpeople」は「人間否定」のような意味合いもあるのかもしれないですが、今回はそういう意味では使っていません。どちらかといえば「人間否定」は「no human」になるのかもしれませんね。「unpeople」は造語ですが、「no human」は一般名詞です。

3年前から、東日本大震災があった3月11日の14時46分に、銀座の和光で鳴らす鐘の音のプロジェクトをやらせてもらっていて。当日、たくさんの人や車がいる大きな交差点にある和光の前を観察していると、3月11日だから東北の人に想いを馳せ願いを込めて祈っている人もいれば、もう13年前だし他人の出来事、という感じで歩いている人もいる。トラックが大きなクラクションを鳴らしたり、道路工事をしていたり。大きな災害があっても、10年もすれば普通に人それぞれ人生があって、そういうことにいちいち構っていられないよという人もいるというのが現状。当たり前といえば当たり前ですが、もう少しその時くらいは何かをやめて想いを馳せたりする、ということがあってもいいんじゃないかな、と思ったりしました。

今回のアルバム『unpeople』はコロナ禍で作っていて、完成してマスタリングした時はコロナも明けかけて、世の中がふわっと何事もなかったかのように生活する雰囲気がありました。その時に、やっぱり強い言葉じゃないと伝わらないなと思って。炎上させたいとかそういう訳ではなく。言葉やテクノロジーが発達して、古き良き明治や昭和時代の文学的メタファーが機能しなくなっていることも感じているから、そういう文化も大切にしたい気持ちはあるのですが、あえて強い言葉を使わないと、コンセプトを見てもくれないんじゃないかという気持ちが強くありました。なので、今回は割とバシッと。一方で結構悩んでいて、友達にも「どう思う?強すぎるかな…」と相談してアドバイスをもらったりしていました。「いいんじゃない」という意見が多かったので「じゃあそれでいこう」と決めたのですが、本当はそういう想いが込められています。

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音、人、状況、環境とか、その辺りのワードで創作している

― 音楽シーンのみならず、アートの分野などでも活躍される蓮沼さんですが、もともと音楽を作り始めたきっかけは大学時代専攻されていた、環境経済学で行ったフィールド・レコーディングがきっかけとお聞きしました。様々な表現方法がある中で、蓮沼さんが”音”で創作することへのこだわりや想いというものはあるのでしょうか?

うーん、スターティングポイントとしては、自分ができることが音だった、という感じですね。例えば、フィールド・レコーディングをするということと、大人数を集めて合奏するということは近いようで全然遠くて、それを同じ括りで音楽と捉えることもすごいことだなと、僕なんかは思ってしまうのですが。音、人、状況、環境とか、その辺りのワードで創作していることは間違いないと思います。環境の変化とか、そういうものも音には含まれているというか。

今回もソロアルバムですが、ゲストがいるいないとかそういう話とは関係なく、曲を作っている時に誰かと遊んで、その人のバイブスに引っ張られて次の日のクリエーションが変わることもあります。そういう意味でもアルバムは1人で出来上がっている訳ではないですね。日常的に曲を作っているので、そういう”人”の影響というのは大きいと思いますし、それを表現するときに、自分の中で”音”というものは強い部分だと思っています。

ただ、”音”というものが、20世紀的な音楽と呼ばれているものかと言われたら、それはどうだろうと思っています。そういうコンテクストではやっていないというか…かと言ってモダンな現代音楽という認識でもないのですが。
そもそも、音楽を作りたいと思って始めた訳じゃないというか…。「何言ってるんだ?」という感じだと思いますが(笑)
現代では、音楽を作り上げていく構成とか所作みたいなものを、違ったメディアに置き換えて作っていく固定化された形式があると思うのですが、テクノロジーも発展している今、僕はその固定化された形式に則っていくというより、今ある状況やテクノロジー、今生きている人たちを使って、新しい表現を作っていくということに一番関心があります。新しい表現だからと言って、「テクニカル・次世代」というだけではなく、アナログ的な要素ももちろんありつつ、新しいこと、再発見と思えるものを作っていこうと思っていますし『unpeople』もそんな気持ちで作っています。
蓮沼執太フィルやU-zhaanとのコラボレーションは、もともとコンセプトが決まっていたり、やれることが決まっていたりすることもあるので、難しい時もありますが、全体を通してのスタンスはそういう感じです。アーティストとして、ミュージシャンとして、社会の厳しさに折れずに頑張っています。

俯瞰的に見てくれる人がいると、それだけで鮮やかに方向性が変わる

― 新しく立ち上げた「windandwindows」とはどういうものなんでしょうか。

単純に言うと、会社を作ったということです。
今回のlistudeでのライブもそうですが、基本的に自主ライブなので、自分たちのチームでライブやイベントの制作を行っています。物事は1人じゃできないので。今までは、ありがたいことに人に恵まれていて、出会いが向こうからやってくるということが多かったのですが、専門的な分野ももちろん必要だし、やっぱりちゃんとしたチームが必要だなと思い、出会いをこっちから作っていくというのも面白いんじゃないかなと思って作りました。

ボランティアでお願いします、という訳でもなく働くという形でクリエーションを生かしてみよう、出会いを作ってみよう、みたいなプロジェクトですね。今までもアート関連のコラボレーションやメディアなどで、音楽が入ることによって色々な関係性が生まれることはあるなと思っていて。その仕事の専門であるなしに関わらず、こういうこともやってみたいとアイデアを持っている人がたくさんいるのかな、と思ったので、そういった人たちと僕が接続して何かできたらいいんじゃないかな、と。新しいコレクティブみたいなものを作れたらいいなと思っています。
実際に面接もしましたね。いきなり一緒に何かをするということは難しいと思いますが、まずは僕の活動を見てもらって、一緒にどんなクリエーションができるか考えて、広げていけたらいいなと思っています。

僕は、自分と向き合って作っていくのも、人と作っていくのもどっちも好きなんですよね。『unpeople』も自分と向き合いつつ作った作品なので。でも、集団でクリエーションするというのは、自分にとって発見が多かったりもします。結局1人の人間の判断なんていうものは、大したひらめきもなくて。俯瞰的に見てくれる人がいると、それだけで鮮やかに方向性が変わることも何度も経験しているので、いつまでも柔軟にいたいという想いは根底にあるかもしれないですね。
僕は、職人のように1つの作品に対して決められた完成度で作っていくというよりも、アウトプットの形がその都度変化していって、その変化の過程を長い時間をかけて1人の人間の個性として受け入れてもらえたらいいな、という感じです。

― 初めてのlistudeでのライブということですが、何か想いなどはありますでしょうか。

僕は、空間に対しての響きにこだわっているタイプなのですが、listudeの空間に対しての響きへの姿勢、というものにすごくシンパシーを感じています。それは実際にスピーカーを使ってライブをさせてもらっている時に感じることもあるし、普通にスピーカーを聴いている時にもそういう印象を受けることがありますね。

その印象というものが、音があくまでその環境の中に自然に在るみたいに感じるというか…うーん、なんて言ったらいいんだろう…音楽や音じゃなく「響き」なんです。僕は、音1個の「響き」が空間に対していい響きをしていたらいいなと思っていて。音って、どんどん消えていくじゃないですか。空間に馴染んでいるというか。listudeは、その在った音がなくなる過程を大切にしているなという印象があるんですよね。鳴る音がいいだけではなく、鳴った後のわずかな1、2秒後の音の響きまで大切にされているという印象があるんですよ。それは僕と本当に一緒なので。そういうものを、いよいよ本場で体験できるということが本当に楽しみです。

蓮沼執太さんが出演されるライブ情報はこちらから(※チケットは既にSOLD OUT)
https://www.listude.jp/journal/?p=16383

蓮沼執太
音楽家、アーティスト。1983年東京都生まれ。蓮沼執太フィルを組織して、国内外での音楽公演をはじめ、映画、演劇、ダンスなど、多数の音楽制作を行う。また「作曲」という手法を応用し物質的な表現を用いて、彫刻、映像、インスタレーション、パフォーマンス、ワークショップ、プロジェクトなどを制作する。2013年にアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)のグランティ、2017年に文化庁・東アジア文化交流史に任命されるなど、国外での活動も多い。主な個展に2016年「compositions:rhythm」(スパイラル、東京/2017)「作曲的|compositions」(Beijing Culture and Art Center、北京/2018)「Compositions」(Pioneer Works、ニューヨーク/2018)「 ~ ing」(資生堂ギャラリー、東京/2020)「OTHER “Someone’s public and private/Something’s public and private」(void+、東京/2020)などがある。近年のグループ展に「太田の美術vol.3『2020年のさざえ堂ー現代の螺旋と100枚の絵』」(太田市美術館、群馬/2020)、「Faces」(SCAI PIRAMIDE、東京/2021)など。2019年に第69回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。

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